あなたにもよくあることだと思いますが、私は初対面で出会った方からよく聞かれる質問があります。それは「おこさまは?」という質問です。
この質問は面白いことに、男性でも女性でも、オーストラリア人でも日本人でも全く関係なく、おこさまのいる方がよくする質問です。理由は簡単ですね。お互いの共通点を探そうとするからです。
そこで、私は「子供はいないですよ」と答えます。
そうすると、だいたい2通りの反応がみられます。1つは「まぁ、子供がいなくてもねっ。」という前向きで優しさのあるスルーの反応です(笑)
そしてもう1つは、「あぁー、最近そういう人増えていますよね。キャリアのためですか?」という現代一般論としての反応です。
どちらの反応にしても、「私がなぜ子供を持っていないか?」という質問に触れる人はほとんどいません。
人によってはとてもセンシティブな部分ですから当然のことですよね。
相手のことを重んじる日本人の私たちには特に、はじめて会った方にはなかなか聞かない質問です(笑)ただ、この質問がないことでその人の中で勝手な解釈をされてしまうことも多々あるようです。
それもその方の見方や価値観次第で、私にとっては事実ではないことを信じてしまうことがあるようです。
この度、おこさまをお預かりするキッズヨガのご案内ページを書く機会に恵まれましたので、ここでは私から先に子供のいない理由をお話ししたいと思います。今まで、すぐ近くの友人以外には話したことのない内容です。理由は単に聞かれないからですが(笑)
ハリソン美保子は、こどもよりキャリアを選んだ?
私は現在43歳で、主人と結婚したのは3年前の2016年です。
私と主人との出会いは、今から15年前の2004年の4月のことです。その頃、ワーキングホリデーという素晴らしいビザを手にした私は、初めての海外生活をすることにドキドキワクワクと胸を躍らせていました。そんな私のオーストラリア生活が始まった2週間後に今の主人と出会いました。
当時の私は28歳で、全く英語が話せない状態でしたが、日本語を話せないオーストラリア人男性である主人と、なぜか意気投合して、ジェスチャーゲームをするように、ほとんどのコミュニケーションをボディランゲージという方法で取り合いました。
そんな彼とお付き合いを始めるようになった頃、すぐに彼から言われたことがあります。
それは、「以前に結婚をしていて子供が一人いるんだけれど、離婚の時に自分のもとからこどもを奪われた経験が辛すぎて、もう二度と同じ思いはしたくないから子供が出来ないように手術しているんだ」と。。。
それを聞いた私は、衝撃を受けました。ですが、まだお付き合いが始まったばかりということもあり、「先はどうなるかわからないから。」と、あまり気にせずにいましたが、ただ彼の心の傷と痛みがまた癒えていないことを、その時点で知りました。《このことをオンラインで公開することは、実はものすごく勇気のいることです。主人にも、プライベートなことだけど書いても大丈夫?かと確認しました。主人は、彼の経験がどこかの誰かのためになるかもしれないからと快く了承してくれましたので、ここに主人へ対する敬意を払い、書くことにしました》
主人は、はじめから私にいつも誠実に接してくれています。それに私には、いつも自分で選択できるという自由があることも伝えてくれています。
この日から、私は「いつか私にとって大きな決断をしないといけない日が来る」ということを知ったうえで、彼とのお付き合いを始めました。それが、もう15年も前のことになります。
それからは、「子供」のことよりも、言葉の壁やビザの問題、自分の将来や初海外での生活など、たくさんのことに挑戦する日々が続き、刻々と時間は過ぎていきました。
それから1年後に、ワーホリの期間が終わり私は日本へ帰りました。日本へ帰ってからも、私たちは遠距離恋愛を続けました。その方法は、電話や手紙、それにメッセンジャーです。私は彼に会えない日々に我慢が出来す、観光で数か月会いに行ったこともあります。
彼との恋愛を続けていきたいという想いでいっぱいでした。
そんな、離れ離れの日々をなんとか乗り越えた私は、2006年に学生としてまた1年3ヶ月のビザを手にゴールドコーストへ戻りました。この日から、再び彼との生活が始まります。
この頃の私は、「母国を旅立ちオーストラリアで生きていく」と決意して来ましたので、英語の勉強やローカルのお店で仕事をすることをゴールとして毎日精を出して頑張りました。
そして学生ビザが終わる前に、私のビザはディファクトビザに変わり、2007年のクリスマスの日には彼からプロポーズを受けました。出会って3年半の頃です。
彼からプロポーズを受けたことで、結婚と子供のことを考えるようになりました。付き合い始めた頃に聞いていたように、彼は子どもが出来ないように手術をしていますから、それも話合っていかなければなりません。
でも、問題はそのことだけではなかったのです。
彼は、私より13歳年上です。本人の年齢のこと、経済的負担、まだ癒えていないこころの痛みもあり、すんなりと「私と結婚するからまた手術をして子供を作ろう。」ということにはなりませんでした。
彼は子どもが大好きです。たくさんの子どもが欲しいと願っていました。ですが、それを現実に考えると男の責任として大きな負担を抱えることに強く悩んでいました。
私も悩みました。もともと結婚願望はあまり強い方ではありませんでしたが、「結婚するとお母さんになる」ということを、いつも当たり前に思っていましたし、私はお母さんということを絶対に楽しんで出来ると思っていましたので、結婚しても子どもを持たないということになるかもしれない。。。
そう思うと、どうすれば良いかわからなくなり、すごく悩みました。
「こんなに好きな彼と結婚せずに、違う人を探してお母さんになるの?」「それともお母さんになることをあきらめてこの人と結婚するの?」「彼の子どもが結婚してお母さんになったら私はどんな風に感じるの?」「彼は孫が出来るけど私にはこどもすらいない?」
このような考えが何度も何度も頭をよぎり、すごく悩みました。
結論を出せない日々が続きました。
一人で出かけたときには、楽しそうな家族の姿ばかりが目につき、羨ましくて悲しく思いました。
2007年のクリスマスにプロポーズを受けてから、結論を出せないまま月日だけが流れていきます。
その間に、親友が子どもを産みました。周りの人がどんどんとお母さんになっていきました。彼の娘も結婚をし妊娠しました。
こんなにも自分で自分のことを決められないことは、私にとって初めての経験でした。
それでも、不思議と焦りはなく、いつか最良な選択ができると、ただその時を待っていました。
そしてついにその時がやってきました。
それは、2015年の10月のある日、突然私は「もう大丈夫」だと心から思える日が来たのです。
そう思えたのは、彼の「男としての責任」の想いを真に理解出来たからでした。
これを、人にうまく説明することは出来ないのですが、彼の深い愛を理解できたということです。私に対する愛、まだいない私たちのこどもに対する愛、それを心から感じることが出来たおかげで、私は彼との結婚を決めることが出来ました。
彼と結婚するということは、お母さんにならない選択です。彼と2人で仲良く年を老いていく選択です。私は長い年月をかけてお母さんになることではなくて、彼の存在を選びました。
プロポーズされてから9年。出会ってから12年で私たちはようやく夫婦となりました。
子をもたない夫婦の誕生です。
でもそれは、キャリアのためでもなく、子どもに興味がないわけでもなく、愛ある一人の男と一人の女の選択の結果です。
結論から言えば、いまのところ後悔はありません(笑)私たち夫婦は年々仲の良さが増していますし、こどもを持たないことで得たメリットもあります。
それは、時間です。
私はヨガとピラティスはもちろんですが、誠実な愛の表現や人間関係にもとても興味を持っています。
こどもを持たないことで与えられている自由な時間を使い、コツコツと心理学や哲学、自然科学や原理原則を学び深める努力をしています。
私は、子どもを持っていませんし、子育てもしていません。ですが、いつも愛に触れています。
世の中のすべてのこどもに幸せになってもらいたいと願っています。同時にすべてのお父さんにも、お母さんにも幸せで日々笑っていて欲しいと願っています。
私にはこどもがいませんが、今は主人と私のあいだに孫が2人います。そうです、彼の娘の子ども達です。私はお母さんになることを飛び越えておばあちゃんになることが出来ました。
ではここからは、小学校3年生からを対象としたキッズヨガを行うことになった成り行きをお話します。
私は、日常的に日本人の方はもちろんですが、ローカルの50歳以上の方と関わる機会が多くあります。その中には70代の方も多く、ありがたいことにその方々から色々な生きる知恵を教えて頂いています。長く生きているからこそ、人生経験を通して得た素晴らしい知恵を持っていらっしゃる生きた哲学者たちです。
私は普段からこのような環境に身を置いていますので、将来これを活かしておばあちゃんから次世代へ繋ぐ知恵渡しという場所を作ることが出来たらいいなと思っています。
これと同じように、悩める若い人達やこども達が相談に行ける安全な場所があるといいなとも思っています。
こう思うのも、私自身が色々な面で悩みに悩んで人生を切り開いてきたから思うことですし、ずいぶんと遠回りをしてきましたので、私自身の経験も活かして若者やこども達のガイド役として成長に関わっていくことを望み願っています。
今の私が、こどもの成長に関わる方法としてキッズヨガという形は自然の成り行きなのかもしれません。
私の開催するクラスへ、長く来て下さっている方達からの要望もありますが、開催を決めた一番の理由は私自身がこどもの成長に関わっていきたいと思うようになったからです。
それは、私がおばあちゃんという存在になったからでしょうか(笑)
こんなこどものいないハリソン美保子ですが、私は主人と二人で頻繁に子育てについて話し合います。
生活スタイル、コミュニケーションスタイル、教育方針など、どんどんと変わっていくこの世の中で、目にするもの、耳にするもの、触れるもの、身につけるものなどを、自分の意志で選ばなければ、自動的にどんどんと混乱の渦に巻き込まれていくご時世です。
これからの未来を創っていくこどもたちが、人間の本質を失わずに、果物や花のような自然の法則にそった『誕生から成熟(完熟)』という最後のプロセスに辿り着くまで、しっかりと人生を謳歌していただきたいとこころから願っています。
ここまでで私の自己紹介を終えますが、文章を通して少しでもお近づきになれたなら嬉しいです。
あなたにもよくあることだと思いますが、私は初対面で出会った方からよく聞かれる質問があります。それは「おこさまは?」という質問です。
この質問は面白いことに、男性でも女性でも、オーストラリア人でも日本人でも全く関係なく、おこさまのいる方がよくする質問です。理由は簡単ですね。お互いの共通点を探そうとするからです。
そこで、私は「子供はいないですよ」と答えます。
そうすると、だいたい2通りの反応がみられます。1つは「まぁ、子供がいなくてもねっ。」という前向きで優しさのあるスルーの反応です(笑)
そしてもう1つは、「あぁー、最近そういう人増えていますよね。キャリアのためですか?」という現代一般論としての反応です。
どちらの反応にしても、「私がなぜ子供を持っていないか?」という質問に触れる人はほとんどいません。
人によってはとてもセンシティブな部分ですから当然のことですよね。
相手のことを重んじる日本人の私たちには特に、はじめて会った方にはなかなか聞かない質問です(笑)ただ、この質問がないことでその人の中で勝手な解釈をされてしまうことも多々あるようです。
それもその方の見方や価値観次第で、私にとっては事実ではないことを信じてしまうことがあるようです。
この度、おこさまをお預かりするキッズヨガのご案内ページを書く機会に恵まれましたので、ここでは私から先に子供のいない理由をお話ししたいと思います。今まで、すぐ近くの友人以外には話したことのない内容です。理由は単に聞かれないからですが(笑)
ハリソン美保子は、こどもよりキャリアを選んだ?
私は現在43歳で、主人と結婚したのは3年前の2016年です。
私と主人との出会いは、今から15年前の2004年の4月のことです。その頃、ワーキングホリデーという素晴らしいビザを手にした私は、初めての海外生活をすることにドキドキワクワクと胸を躍らせていました。そんな私のオーストラリア生活が始まった2週間後に今の主人と出会いました。
当時の私は28歳で、全く英語が話せない状態でしたが、日本語を話せないオーストラリア人男性である主人と、なぜか意気投合して、ジェスチャーゲームをするように、ほとんどのコミュニケーションをボディランゲージという方法で取り合いました。
そんな彼とお付き合いを始めるようになった頃、すぐに彼から言われたことがあります。
それは、「以前に結婚をしていて子供が一人いるんだけれど、離婚の時に自分のもとからこどもを奪われた経験が辛すぎて、もう二度と同じ思いはしたくないから子供が出来ないように手術しているんだ」と。。。
それを聞いた私は、衝撃を受けました。ですが、まだお付き合いが始まったばかりということもあり、「先はどうなるかわからないから。」と、あまり気にせずにいましたが、ただ彼の心の傷と痛みがまた癒えていないことを、その時点で知りました。《このことをオンラインで公開することは、実はものすごく勇気のいることです。主人にも、プライベートなことだけど書いても大丈夫?かと確認しました。主人は、彼の経験がどこかの誰かのためになるかもしれないからと快く了承してくれましたので、ここに主人へ対する敬意を払い、書くことにしました》
主人は、はじめから私にいつも誠実に接してくれています。それに私には、いつも自分で選択できるという自由があることも伝えてくれています。
この日から、私は「いつか私にとって大きな決断をしないといけない日が来る」ということを知ったうえで、彼とのお付き合いを始めました。それが、もう15年も前のことになります。
それからは、「子供」のことよりも、言葉の壁やビザの問題、自分の将来や初海外での生活など、たくさんのことに挑戦する日々が続き、刻々と時間は過ぎていきました。
それから1年後に、ワーホリの期間が終わり私は日本へ帰りました。日本へ帰ってからも、私たちは遠距離恋愛を続けました。その方法は、電話や手紙、それにメッセンジャーです。私は彼に会えない日々に我慢が出来す、観光で数か月会いに行ったこともあります。
彼との恋愛を続けていきたいという想いでいっぱいでした。
そんな、離れ離れの日々をなんとか乗り越えた私は、2006年に学生としてまた1年3ヶ月のビザを手にゴールドコーストへ戻りました。この日から、再び彼との生活が始まります。
この頃の私は、「母国を旅立ちオーストラリアで生きていく」と決意して来ましたので、英語の勉強やローカルのお店で仕事をすることをゴールとして毎日精を出して頑張りました。
そして学生ビザが終わる前に、私のビザはディファクトビザに変わり、2007年のクリスマスの日には彼からプロポーズを受けました。出会って3年半の頃です。
彼からプロポーズを受けたことで、結婚と子供のことを考えるようになりました。付き合い始めた頃に聞いていたように、彼は子どもが出来ないように手術をしていますから、それも話合っていかなければなりません。
でも、問題はそのことだけではなかったのです。
彼は、私より13歳年上です。本人の年齢のこと、経済的負担、まだ癒えていないこころの痛みもあり、すんなりと「私と結婚するからまた手術をして子供を作ろう。」ということにはなりませんでした。
彼は子どもが大好きです。たくさんの子どもが欲しいと願っていました。ですが、それを現実に考えると男の責任として大きな負担を抱えることに強く悩んでいました。
私も悩みました。もともと結婚願望はあまり強い方ではありませんでしたが、「結婚するとお母さんになる」ということを、いつも当たり前に思っていましたし、私はお母さんということを絶対に楽しんで出来ると思っていましたので、結婚しても子どもを持たないということになるかもしれない。。。
そう思うと、どうすれば良いかわからなくなり、すごく悩みました。
「こんなに好きな彼と結婚せずに、違う人を探してお母さんになるの?」「それともお母さんになることをあきらめてこの人と結婚するの?」「彼の子どもが結婚してお母さんになったら私はどんな風に感じるの?」「彼は孫が出来るけど私にはこどもすらいない?」
このような考えが何度も何度も頭をよぎり、すごく悩みました。
結論を出せない日々が続きました。
一人で出かけたときには、楽しそうな家族の姿ばかりが目につき、羨ましくて悲しく思いました。
2007年のクリスマスにプロポーズを受けてから、結論を出せないまま月日だけが流れていきます。
その間に、親友が子どもを産みました。周りの人がどんどんとお母さんになっていきました。彼の娘も結婚をし妊娠しました。
こんなにも自分で自分のことを決められないことは、私にとって初めての経験でした。
それでも、不思議と焦りはなく、いつか最良な選択ができると、ただその時を待っていました。
そしてついにその時がやってきました。
それは、2015年の10月のある日、突然私は「もう大丈夫」だと心から思える日が来たのです。
そう思えたのは、彼の「男としての責任」の想いを真に理解出来たからでした。
これを、人にうまく説明することは出来ないのですが、彼の深い愛を理解できたということです。私に対する愛、まだいない私たちのこどもに対する愛、それを心から感じることが出来たおかげで、私は彼との結婚を決めることが出来ました。
彼と結婚するということは、お母さんにならない選択です。彼と2人で仲良く年を老いていく選択です。私は長い年月をかけてお母さんになることではなくて、彼の存在を選びました。
プロポーズされてから9年。出会ってから12年で私たちはようやく夫婦となりました。
子をもたない夫婦の誕生です。
でもそれは、キャリアのためでもなく、子どもに興味がないわけでもなく、愛ある一人の男と一人の女の選択の結果です。
結論から言えば、いまのところ後悔はありません(笑)私たち夫婦は年々仲の良さが増していますし、こどもを持たないことで得たメリットもあります。
それは、時間です。
私はヨガとピラティスはもちろんですが、誠実な愛の表現や人間関係にもとても興味を持っています。
こどもを持たないことで与えられている自由な時間を使い、コツコツと心理学や哲学、自然科学や原理原則を学び深める努力をしています。
私は、子どもを持っていませんし、子育てもしていません。ですが、いつも愛に触れています。
世の中のすべてのこどもに幸せになってもらいたいと願っています。同時にすべてのお父さんにも、お母さんにも幸せで日々笑っていて欲しいと願っています。
私にはこどもがいませんが、今は主人と私のあいだに孫が2人います。そうです、彼の娘の子ども達です。私はお母さんになることを飛び越えておばあちゃんになることが出来ました。
ではここからは、小学校3年生からを対象としたキッズヨガを行うことになった成り行きをお話します。
私は、日常的に日本人の方はもちろんですが、ローカルの50歳以上の方と関わる機会が多くあります。その中には70代の方も多く、ありがたいことにその方々から色々な生きる知恵を教えて頂いています。長く生きているからこそ、人生経験を通して得た素晴らしい知恵を持っていらっしゃる生きた哲学者たちです。
私は普段からこのような環境に身を置いていますので、将来これを活かしておばあちゃんから次世代へ繋ぐ知恵渡しという場所を作ることが出来たらいいなと思っています。
これと同じように、悩める若い人達やこども達が相談に行ける安全な場所があるといいなとも思っています。
こう思うのも、私自身が色々な面で悩みに悩んで人生を切り開いてきたから思うことですし、ずいぶんと遠回りをしてきましたので、私自身の経験も活かして若者やこども達のガイド役として成長に関わっていくことを望み願っています。
今の私が、こどもの成長に関わる方法としてキッズヨガという形は自然の成り行きなのかもしれません。
私の開催するクラスへ、長く来て下さっている方達からの要望もありますが、開催を決めた一番の理由は私自身がこどもの成長に関わっていきたいと思うようになったからです。
それは、私がおばあちゃんという存在になったからでしょうか(笑)
こんなこどものいないハリソン美保子ですが、私は主人と二人で頻繁に子育てについて話し合います。
生活スタイル、コミュニケーションスタイル、教育方針など、どんどんと変わっていくこの世の中で、目にするもの、耳にするもの、触れるもの、身につけるものなどを、自分の意志で選ばなければ、自動的にどんどんと混乱の渦に巻き込まれていくご時世です。
これからの未来を創っていくこどもたちが、人間の本質を失わずに、果物や花のような自然の法則にそった『誕生から成熟(完熟)』という最後のプロセスに辿り着くまで、しっかりと人生を謳歌していただきたいとこころから願っています。
ここまでで私の自己紹介を終えますが、文章を通して少しでもお近づきになれたなら嬉しいです。